(コラム)「負けて得るものはあるのか」

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※以下、文字情報です。

8・24『怪談』、結果の詳細は前号(号外)に書かせていただいたのでそちらをご参照いただくとして、プロゲキ代表の井口時次郎から見れば、まさに、「惨敗」という結果だった。3回のステージすべてにおいて1位を獲得することはできなかった。

この結果を井口自身はどうとらえているのか。バックステージコメントでは「山籠もりをするしかない」などといった発言がみられたが、そういう問題ではないことは井口自身が一番よくわかっているはずだ。今回のコラムでは、「なぜ井口が勝てなかったか」について、忖度なしに検証したいと思う。

ひとつは号外でも触れたが、井口が今回上演した内容が地下室に閉じこめられた人間の精神が崩壊していくさまを描いたものだったため、いわゆる怪談とちょっと違ったのではないかということがある。

これについては、プロゲキスタッフの長山氏に取材しコメントをもらうことができた。

長山氏によると、今回は怪談師の山口綾子が参戦することになり、落語のかはづ亭みなみ、語りの茶谷幸也とラインアップを考えた際に芝居寄りの作品にする必要があり、その結果として観客が想定する「怪談」とはズレてしまったということだった。

確かにそれは敗因と言えるだろう。しかし、長山氏からはもう一つ、重要な指摘を聞くことができた。

それは井口の稽古不足という点だ。プロデュースサイドの業務が多く、自分の作品創りが後回しになっているという。それが本当なら、根本的に運営の方針を変更していく必要があるだろう。

プロゲキの構造上の問題は、プロゲキ所属の俳優がいないことにある。山口綾子、かはづ亭みなみ、茶谷幸也の三人はいずれも外部からの参加でありゲストである。当然、毎回参加できるはずもない。プロデューサー井口時次郎が出演交渉し、スケジュール調整を行ったうえで出演となる。もちろん時には出演依頼を断られることもあるだろう。限られたコンテンツで観客が満足するイベントを2カ月ごとに上演していくのは並大抵のことではない。その結果として自分自身の稽古ができないというのであれば、演者ではなくプロデュースに専念すべきである。

舞台に立つと決めているのであれば勝てる状態で舞台に上がるべきである。井口はそうしているつもりだと言うかもしれないが、観客投票の結果はそれを否定している。

しかし、ここまで書いておきながら矛盾するようだが、私はまだまだ井口の舞台に上がる姿を観ていたいのだ。圧倒的な熱量で、時に真剣に、時にはキモく、舞台でくるくると表情を変えるさまを観たいのだ。

負けて得るものがあるとすれば、プロゲキの体制そのものを強化していくきっかけとするほかはない。制作スタッフやプロゲキ所属俳優の増加のために手をうっていくしかない。今回FutureStageに出演した中村徹は元劇団員だそうだが、劇団復帰という選択肢はあるのだろうか。非常に大きな期待を持って今後の彼の舞台を追っていきたい。それがプロゲキの未来を追うことになると確信している。

                                       (継木承一郎)

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