(12・15金沢公演リポート)King of PROGEKI

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***以下、文字情報です***

【総評】

団体最高の称号とともに存在するはずのベルトが間に合わない。まるでかつてのプロレス団体WGのようで縁起が悪いがそれはさておき。

まずは王者となった井口を讃えたい。最初からベルトが流出するという事態は何としても避けたかっただろう。しかし勝負は時の運。「勝ちたい」とは思っても「勝てる」とは思えなかったのではないか。また、去年のように「勝てる」と思ったところから勝ちがするりと逃げていくことも脳裏によぎっただろう。門外漢ではあるがそこに大きなプレッシャーがあったことは想像に難くない。勝利をコールされた時、その表情に喜びと同時に安堵の色が見えたのは私だけではないはずだ。

一方の風李も流石という他なかった。狭い舞台をいっぱいに使い、刀を振って新選組の物語をファンタジー色とともに展開してみせた。オールドファンの一人としては、かつてのKAZARI十番勝負の頃を彷彿とさせる舞台に胸が躍った。30分という時間の制約から登場人物や舞台の設定がわかりにくい部分もあり、今回は井口に譲ったが、やはり実力は折り紙付き。今後もぜひプロゲキの舞台に上がってほしいと心から思う次第である。

1st stageの姫川あゆりについては次ページで触れたい。正直、課題は多いと思うが、それでも何かをやってくれる期待感があるのが彼女。東京での活躍を応援したい。   (継木承一郎)

【姫川あゆり】

姫川あゆりはウナギ・サヤカになれるか?!

ウナギ・サヤカをご存じない方のために説明すると、彼女は地下アイドルから女子プロレスラーとなるも、業界最大手の団体スターダムを事実上クビになってしまう。しかしそこから「ギャン期」と称してさまざまな団体に上がり、レジェンドと言われるレスラー(女子だけでなく男子レスラーも含む)と試合を行ってきた。さらには自分自身で後楽園ホールや両国国技館で自主興行を開催し、夢は東京ドームと語る。プロレスの実力としてはまだまだという意見もあるが、その生き様から多くのファン(「ひつま武士」というらしい)を引き付けている。

 姫川あゆりもそんな部分を持っていると感じる。とにかく貪欲に、いろんな舞台に立ち続け、それに飽き足らず自主公演も行う。この4月からは東京で活動を開始する予定とのこと。アグレッシブなその姿勢はまさにウナギ・サヤカと重なって見える。

 しかし、その積極性と引き換えに1本1本の作品にかけるエネルギーが足りなくなってはいないだろうか。今回の「ピンクのエッセンス」でもテキストが十分練られていないように思える部分が見られた。まだまだ若い演劇人である。至らないところがあるのは当然だ。しかし、その「至らないところ」をしっかりと指摘してくれる大人は彼女の周囲にいるのだろうか。

 ウナギ・サヤカは挫折を繰り返しながらもド派手に立ち上がり続ける姿が魅力的なのだ。姫川あゆりもそうなれるだろうか。言動は激しくとも、しかししっかりと地に足をつけて一歩一歩進んでもらいたい。                  

                                      (継木承一郎)

【風李一成】

シビれる。

 今回の風李の舞台を一言で表すとすればこの言葉に尽きる。カッコいいのだ。年齢のことは言うまい。しかし彼の芝居を観るとこちらも若かりし頃に戻ったような錯覚に陥ってしまう。目の前で、風李一成が剣を抜き、立ち回り、言葉を発する。もうそれだけでシビれちゃうのだ。

 今回の作品は17年前に上演された「HAGAKURE」をリメイクした外伝とのことだが、やはり30分に収まる内容ではなかった。じっくりと長尺で観たいと感じた観客は私だけではあるまい。勝負という点では登場人物の多さや幕末の時代背景知識が必要になる点は不利に働いたと思われる。しかし、スコアほどに内容に差があったとは思えなかった。むしろ、井口が提唱する「LIVEでしか伝えられないものがある」という点では風李の方がLIVE感があったと私は感じた。

 あえて敗因を考えるとすれば、勝負に対するこだわりの違いだろう。もちろん、演劇に勝ち負けはそぐわない。数字やスコアで判断できるものではなく、一人ひとりの観客が自分の心で好き嫌いを決めればそれでいいのだ。プロゲキではあえて観客投票で勝敗をつけることで注目を集めたいという部分があるだろうし、実際、今回井口が「風李越え」を果たしたということには意味はあるだろう。しかし、風李にとってはそこはどうでもいいことなのだ。自分の芝居が舞台にあれば、それで十分。たとえ負けたとしても自分のやるべきことをやる。それはまさに、今回風李が演じた新選組の姿そのものではないか。

やっぱり、シビれちゃうんだよなあ。                  

                                      (継木承一郎)

【井口時次郎】

作家の塩野七生によれば、嫉妬とは持っているものを失うかもしれないという不安であり、羨望とは持っていないものをうらやむ心であるそうだ。だとすれば、井口が描く登場人物には羨望に苦しむキャラクターが多いように思う。昨年の「ワトソンの弁明」ではホームズばかりが賞賛を浴びることに苦しむワトソンの心情が描かれていた。そして今年は、自分こそが神の声を聞くことができるのに、他者を引きつけ他者に教えを広めることができない男を演じた。それはとりもなおさず常に主役を張りスターであり続けた風李一成と、脇役を多く演じてきた自分とを並べ、得られないとわかっていながらそれでもスポットライトを浴びたいと願う役者の業のようなものを表現していると言えるのではないか?

 塩野七生は、嫉妬はかまわないが羨望は醜いと断じている。嫉妬は失わないように努力するという点で人間に成長をもたらすかもしれないが、羨望はねじくれて陰険な思いにとらわれることが多い。私もそれに賛成だ。

それでも井口は羨望の炎に焼かれる自分をさらしていく。みっともない自分を暴き立てていくことでしか舞台に立ち続ける術はないと言わんばかりに。観客の前で本当に泣き、笑い、苦しみもだえる。それこそが井口の考える「LIVE」なのだ。

 今回、観客投票によって井口は勝利を得、「King of PROGEKI」のタイトルを獲得した。まさに求めていたスポットライトが自身に降り注いだのだ。さあ、次に井口が演じるのは何か。私はヒソカに「嫉妬」を演じるのではないかと思っている。               

                                       (継木承一郎)

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